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離婚にまつわるコラム

わたしの離婚体験――。 それは十年間ともに過ごした相手の失踪から始まりました。

 

翌日指定した珈琲店に現れた彼は一年前より髪が伸び、不摂生をしていた人特有の不健康な痩せ方をしていました。「・・・ごめんなさい」と頭を下げる彼と向き合うとやはり一年前の普通に暮らしていた頃に戻ったような錯覚に陥りましたが、早速話をする前に事務的に離婚届けにサインと判子を押してもらいました。そして話し始めようとした時、彼がおもむろにカバンから小さなノートを取り出しました。「きっともう一度会った時、たぶん一言では言い表せないと思ったからあの日からしばらく日記をつけていた。それをまず読んで欲しい。」とのことでした。それを受け取り、しばらくの間黙って読み続けました。そこには安易な気持ちで会社を辞めてしまった上になかなか決まらなかった再就職のこと、徐々に返せなくなっていった借金への不安やわたしへの謝罪の言葉が書き込まれていました。そしてきっとわたしが自分と居ては幸せにはなれない、だから姿を消したというような内容のことも書かれていました。それを読んでわたしはやはりこの人は短絡的で自己中心的な考えしかできない人なんだなということを再確認した想いでした。まず失踪して心配させた相手と一年ぶりに会って自分の内情を先に知ってもらおうとする都合の良さ、それも相手がどんな思いでいたかを自身が聞く前にそれを行おうとするその神経に驚きました。けれど考えてみれば彼はずっとこの調子だったのです。それをわたしが見ないようにしたり、いいようにとらえようとしていただけだったのです。わたしは自分の心を奮いたたせてこの一年どこにも答えが見つからずに苦しんでいた疑問をすべて彼に聞いていきました。そしてわかったことは、借金は結婚前に一度バレており、完済した直後からまた始まっていたこと、以前と同じくそれらのお金は交友費に使っていたこと、それは病気のように続いて自分でも止められなかったこと、会社を辞めてすぐもうこの状況から逃れるためにはどこかに消えるしかないと思っていたこと、最後に東京で好きなことをして過ごしてから死にたいと思い失踪したその日に東京へ向かったこと、東京ではウィークリーマンションを借りて暮らしていたがすぐにお金が尽きてきたこと、死ぬ勇気もなくやっぱりまたこちらに戻って来たものの合わせる顔がなく漫画喫茶などに宿泊していたこと、など聞けば概ね予想通りの内容であり予想以上に些末な内容でした。けれど最もショックだったのは彼がそのことを一番知られたくない相手はわたしだったということでした。嘘の多かった結婚生活でしたがそれでもふたりでたくさん話し合い、相談し、互いを理解しようと努力した時期もありました。けれど彼には扉一枚を挟んで何か他人に踏み込ませない自分だけの領域があり、それが夫婦関係を揺るがす何か悪質なものではない限りそっとしておこうと思っていたのですが今思えば結婚している間中ずっとわたしに真実を必死に隠そうと嘘に嘘を重ねていたのです。一体何のための結婚生活だったんだろうという混沌とした思いでいっぱいでした。けれど嘘をついていたとはいえ、実際に家庭にお金を入れ長い間わたしを養ってくれたのは事実でした。そして彼が最後に自宅の鍵とわたしと愛犬が写っている写真を返してくれた時ふいに涙がこぼれそうなりましたが、わたしも今まで感謝している部分もたくさんあったこと、最悪の結末にはなったけど本当の家族になりたいと思っていた時期もあったこと、そしてもう二度と会うことはないと思うけど元気でいて欲しいというような事を伝えて席を立ちました。彼は泣きながら俯いたままでした。こうしてわたしたちは離婚をしました。

 

家には心配で駆けつけてきてくれていた母が待機していてくれていて、無事にサインも判子ももらえたことをとても喜んでくれました。そして彼と話した内容を母に話しているうちにわたしは目が開けていられなくなるほどの眠気に襲われました。それは本当に突然の出来事で、気が付いたらソファーに座ったまま意識を失うように眠っていました。途中母が毛布をかけてくれ、父の食事の支度があるから帰るねという声を聞いたのは覚えているのですがそれから五時間近く昏々と眠り続けて起きたらもう夜でした。その時はじめて昨日から心が張りつめていたこと、そして精神的に疲弊していたことに気付きました。加えて今まであれだけ手に入れたかった離婚届けのサインが急に手に入ったことで奇妙な焦燥感に襲われて、その夜は何もできずにただぼんやりと過ごすことしかできませんでした。

 

翌日、ひとりで役所へ行って離婚届けを提出しました。出した感想は「こんなに簡単なことなんだな。」という思いでした。今日から苗字がまた元に戻ったんだなという不思議な気持ちで家路に着き、その日からもまた各手続きに追われる日々となりました。運転免許証、保険、年金、世帯主の変更、賃貸マンションの借主変更の手続き・・・数え上げたらキリがないほど手続きの連続でした。また働いている会社での名前も変わってしまうわけで、事務的な迷惑をかけてしまうため挨拶まわりなどにもかなりの時間がかかりました。ほとんどの名前変更は終わったかな、と思い愛犬と動物病院へ行けばそこでも前の名前で呼ばれてしまったり、今でも処理しきれなかった数々のポイントカードや各サービスの登録時の名前に前の苗字が載っていたりして、つくづく離婚は結婚の何倍も大変なんだということを実感しました。

 

それともうひとつ、離婚した後の問題といえば友人や親戚への伝え方でした。ごく親しい友人たちにはリアルタイムでどうなっているかを伝えたり相談に乗ってもらったりしていたものの、たまにしか連絡をしない友人やほぼ会うことのない親戚にはどう伝えようかとだいぶ頭を悩ませました。そこでちょうどもうすぐ年末という時期だったのでそういった方々には「旧姓に戻りました」というあたりさわりのない内容で年賀状を書いてお知らせするという方法を取ることにしました。そうして友人たちや親戚一同には離婚をした旨を知らせ、静かに旧姓に戻ることができました。

 

離婚なんて自分とはかけ離れたところにあるものだとずっと思っていました。結婚生活にはいろいろな不満や叶えられないことがあったとしても、自分が死ぬ時や相手が死ぬ時、そこにはただ当たり前のように相手がいるものだと心の中にぼんやりと思っていました。けれどそれは突然に起きたり降りかかってくるものだということがわかりました。今思えば子供が授からなかったから良かったようなものの、もし大事な子供がいたらもっと事態は深刻で酷いものになっていたように思います。そして支えてくれた家族や相談に乗ってくれた友人というまわりの人々に感謝です。もし一人だったならもっと早い段階でくじけて一歩も前に進めなくなっていたことだと思います。二度と同じ経験はしたくはないですが、自分のことをも見つめ直す良いチャンスだったと思い、これからは前へ進んで行きたいとそう思っています。

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